ビジネスフレームワークを用いたサッカー戦術へのアプローチ
今回は、ズームインアウト・ズームアウト思考をサッカー戦術へ当てはめて考える。
ズームイン・ズームアウト思考とは、
物事を局所的(ミクロ的)に捉えることと、物事を俯瞰的(マクロ的)に捉えることを繰り返すことで有効な戦略を考え出すというビジネスフレームワークである。
このフレームワークをサッカーに当てはめると、以下のように考えることができる
マクロ的事象 試合全体の流れ、基本的なプレー原則
例「ポゼッションを重視する」
「ボールを失ったら即奪還」
ミクロ的事象 局所的な戦術、チームにおける決め事
例「常に3角形のパスコースをつくる」、
「ボールを失った後、3秒間プレスをかけ続ける」
はじめに基本的なプレー原則を決め、それを実現するために細かな戦術を落とし込んでいく。
その細かな戦術が 、試合全体に、つまりマクロ的にインパクトを与えているかを絶えず考える。
ゲームをマクロ的に捉えるだけでは、決まり事がなく選手の動きがバラバラになってしまうし、ミクロ的に捉えるだけでは、目的のないプレーに陥ってしまう。
グアルディオラは、このスームイン・ズームアウト思考が非常に優れている人物だ。
グアルディオラ は「私はパスワークを目的とするすべてのプレーを嫌う。」と述べており、ゴールを目的としない無意味なパス回しは意味がないと考えている。
一見、何も問題ないプレーに対しグアルディオラ が叱責するのも、そのプレーがマクロ的にインパクトを与えていないと考えているのだろう。
試合の観戦、分析においても考え方は同様である。
「支配率では勝っていたのに、一点差で負けた。」
ここで思考を止めるのではなく、
「ボール支配の目的を見失っていないか。」
「マクロ敵インパクトはあるのか。」
を考えることが必要であり、
この考え方を持つことで試合観戦も一層面白くなるだろう。
サポータもチームの一員である。
ある研究によると応援されたアスリートは「より限界に近いところまで努力する」傾向があることがわかっている。
良いプレーか悪いプレーかを判断し、選手を応援、鼓舞する。これが選手のプレーの質に少なからず影響を与えている。
観戦する側の質を高めることで、チームとしての向上を促すだろう。
ディフェンスラインにボールを下げたときにブーイングをする時代はもう終わったのだ。
不確定さがもたらすサッカーの面白さ
サッカーは競技人口、視聴人口ともに世界でトップクラスのスポーツである。
なぜ、これほどまでに人々を惹きつけ、熱狂させるのだろうか。
今回、スポーツとしての「不確定さ」という観点から人気なスポーツである理由を考察してみた。
はじめに、サッカーが他のスポーツに比べて「不確定さ」を持つ理由を3つほど挙げる。
理由① 足を使った競技である
サッカーは、ゴールキーパーやスローインという行為を除いて、足を使う。
人間は、モノを扱うとき手を使う事がほとんどで、足でモノを扱う機会はあまりない。
そのため、普通の人は手より足の方が不器用である。
理由② プレーが途切れない
サッカーでプレーが途切れるのは、
・ゴールが入ったとき
・ボールがラインを割ったとき
・反則行為をしたとき
である。
プレーが途切れることは、他の球技に比べ少ない。
アメフトは、1プレーごとにプレーが止まるため、サッカーに比べ、選手への指示が出しやすい。
理由③ プレーする人数が多い
サッカーは1チーム11人である。
テニスやバスケットボール、バレーボールなどの他のチームスポーツに比べ多い。
野球も1チーム9人と多いが、同時参加人数は相手チームと合わせて13人ほど(守備チームとバッター、出塁者)。
人数が多いと、それだけ選択肢が増え、動きに不確定さが生まれる。
アメフトも人数が多いが、理由②で挙げた点から、サッカーよりシステマチックな競技と言える。
以上が、サッカーが「不確定さ」を持つ理由である。
他にも、相手とのプレイエリアの区切りがない(ネットを介したスポーツではない)、試合時間が長いなど様々な理由が考えられる。
では、なぜこの「不確定さ」が人びとを惹きつけるのだろうか。
これは、人間の生活に関連していると考えている。
社会はさまざまな事象が深く絡まり合っており、何が起こるか正確に予測するのは難しく、何が起こるかわからない「不確定さ」が、人びとの生活を活気あるものにしているのではないか。
もし、あらゆる事象が予測できたら、努力、挑戦という言葉は意味を成さないだろう。
このような我々の生活における「不確定さ」を、サッカーにおいても無意識的に感じとり、人々を惹きつけ、熱狂させると私は考えている。